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当たり前だと思っていた事が、当たり前じゃなくなった時、人はその有難みを知る

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人生

「孝行したい時には親は無し」「あるのが当然」その時はわからないもの

人は、平々凡々の毎日を過ごしていると、逆を知らないとそれが当たり前になって
感謝も忘れ傲慢になるものだと思う。

お金も家も家庭も健康も親も恋人も友人も愛情も、無くしてからそれがいかに大切で
かけがえのないモノだったかを実感する。

当たり前に存在していた時は、それがどれほどありがたいモノかはわからない。
在って当然のものだから在る時持っている時はわからない。

まるでそれは、地球における空気、酸素や水に似ている。

平和も食べ物も着るものも、寝るところも、居場所も。
暖かい布団も、雨風しのげる快適な家も、清潔な服も、毎日のお風呂も。
水道をひねれば普通に飲める水、電源をつければ電気が点くし、電気ガス水道は支払いが滞らなければ普通に使えるだろう。

普通に生活していける、十分なものが巷に溢れ、誰もがそれを持つ権利がある。
大概の人は、それを持ち得ているし、普通に職を得ていれば、手に入るものでもある。

もちろん、最初から持っていない人もいるし、途中で無くした人もいるだろう。
今まであったものが、急に自分の手からこぼれて消えてなくなる。
そんな想像、普通はできない。
「実は大切だった」と気づくのは、いつもそれを無くしてからだ。

無くした時に、気づく大切なモノ

そんなわけで、ある時にはありがたみもなにもない。わからない大切なモノたち。
最初から持っているので、満足しているわけではないのでより多くを得ようとする。
平凡な毎日がどれほど幸せかってことに気づかないうちは、「つまらない毎日。抜け出したい」とか
思ったりもする。なぜなら平凡な毎日とは何事も起こらない事件も起こらない毎日だから刺激がないので。でもそれは、日々次々と問題が起きて緊張の連続不安の連続の日々を過ごしてみるとわかる。
何も起きない毎日は最高に幸せだ。
心配不安にならない毎日はそれだけで奇跡だ。
安心して眠れる、安心して生きられる毎日があれば何もいらないだろう。
平和ってことは、実は最高のプレゼントだ。

毎日何事もなく平和に過ごしていれば、夢も希望も湧いてくる。
問題を抱えている時は、毎日が緊張の連続でそれどころじゃない。そんな余裕がない。

疲れたー、いつになったら休めるんだろうと疲労困憊した時にこそ気付く、
昔の「悩みという悩みもなく過ごしていた時」が、「暇だ~」「つまらない」とか
思っていた事が、実は贅沢な悩みであった、悩みではなく幸せだったんだと。

何も言わなくてもゴハンが出てきて、生活の心配もなく、寝床の心配もなく、ご飯の心配もなく、
お金の心配もなく、将来の夢や希望しか持っていなかった頃が、多分一番幸せだったんだろう。

成人して親元を離れ、社会人になり、あるいは結婚して、親も亡くなり実家も無くなり
自分の力だけで生きていかなけれなばならなくなった時、それがいかに大変な努力の上に気づかれていたかを知る。
借金なんか負ってしまった日には、もう目も当てられない。
頑張って働いて働いて稼いだお金は一瞬で消える=返済に消える

・・
ほんと、この世は金次第だ。
お金だけあればいいというものではないけど、お金があれば精神的な安心と安定は買える。
もちろんお金で買えないものも沢山あるが、お金次第で解決できる悩みというのも、この世にはたくさん存在している事もまた事実だったりする。

無くしたものを考える時、「お金があったら」が何度も浮かぶ。
実際、お金がありさえすれば、失わずに済んだものもたくさんあるからだ。
「地獄の沙汰も金次第」なんて言葉があるけど、まあこの世もそうだもんなあ。。。
そんな切ない思いになりつつも、なんとかしよう、なんとかしたいと足掻く気持ちだけは
生まれてくるものだ。
「なんとかして、あの頃のような平和な日々を取り戻したい」と、思うからかもしれない。

人の人生を羨ましいと思う時。でもそれは所詮人の人生でしかない

自分があまりに余裕もなく、夢も希望も打ち砕かれている時には、周りの平和そうな人たちが羨ましくてたまらなくなる。まあでもそれは仕方がない。
無いものねだりとはいうものの、自分にないもの、欲しかったものを持っている人を羨ましく憧れるのは当然というものだ。
若いうちは、いつかはきっと手に入るだろうなんて気軽に考えていたりする。
でもだんだん年を重ねていくうちに、現実と夢の距離がかけ離れている事に気づき
自分の年齢を省みて、今生ではどう頑張ってもそれは無理、と思い知る。

所詮人を羨んでも、所詮それは人の人生であり、自分ではない。
その人の幸せは、自分には得られない。
その代わり、自分の人生でも良い時はあった。
幸せだと今思い出すと、感じる事は沢山ある。

途方もない夢は見なくなるけど、その代わり昔はわからなかった、身近ですでにある、あったものへのありがたみを強く感じる事になる。

最近良く思うのが、そんなことだ。

もちろん遊んでいればそれだけでよかった小さい頃のことはもちろん、
最近では辞めた過去の職場の事や、交友関係の事、健康だった時のこと、生活に余裕があった時のことを思い出す。
逆に、もっと悲惨な状況だった時のことも思い出す。
比べて見れば。。
今より最悪な毎日を思えば、今は天国。
今より幸せだった日を思えば、今は地獄。
当時は気づかなかった幸不幸が、あったんだなあということを
今しみじみ感じている。

gotoku

gotoku

「夜明けのブログ」管理者のgotokuです。
このブログは、私が実際に経験した事や思い出などの
記憶を記録として残しておきたいと思って始めました。

まあ、本当にいろんな事があって、真っ暗闇な一寸先は闇な日々でした( ;∀;)が、ようやく少しずつ暗闇から陽が差してきたかも?!な状態になってきて、、、そんな意味もあってブログタイトルにしました。

「明けない夜はない」これは本当にきっとそうなんだ、と思ってます!

実際にいろんなことが起きて、その時必死で調べたりしたことも今では良い思い出です(笑)
でも当時は大変でした。もし同じように困ってる人が居たら、ちょっとでも参考になればいいなと思います。
(意外と調べても出てこない事って多いんですよね・・・)

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