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【嫌な事は避けられない】足掻いたところで来るべきものは必ず来るという話

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嫌な事が起きたら

絶対イヤ!だけど避けられない「その時」、どうする?どうにもならない(笑)でも・・

いきなりのっけから何を言うんだ(笑)身もふたもないじゃないか!
というのはもちろんのこと。。
それでも最近思う事があり、ああそうだなあと思いにふけったので書いておこう(自己満)

人生楽ありゃ苦もあるさ♪じゃないけど、ほんと、長く生きていれば色々な事が起きる。

気が付いたら社会人人生も結構長い。
色々な場面で人間関係を築いてきたのも、そういう社会に生きているのも
けっこう年季が入って来たなあ。

私の場合は順風満帆とはまったく縁がない人生だったけど、まあなんとかこうして生きてるわけで。
だけど当時は、もうこれ以上無理!絶対無理!と思った事は何度もあった。
でも、結局どうにか何とかなって、こうして今に至ってるんだから、やっぱり「何とか」なったんだと思う。
ならなかったこともある。

例えば大切な人との死別や別れ、特に死別はもうどうしようもない。
親や友達、家族、ペット達との別れ。

覚悟はしていても、あるいは急でも、有無を言わさず起きる事だから
こればっかりはどうにもしようがない。

嫌だと言っても現実は変わらない。そして明日はまた来る。
昨日まで普通に話が出来ていた人が、今日は物言わぬ存在になる。
さっきまで肉体がこの世にあった人が、今はもうその肉体すらない。
そういうことだ。
生きていれば、この世のどこかにいるんだからまあもしかしたらまた会えるかもしれない。
でも亡くなった人とはこの世ではもう二度と会えない。
お金を積んでも権力を行使しても、これは自然の摂理なんだからそりゃどうにもできないよね。

それに直面すると、諦めるしかない。諦めるというか、認めるというか、受け入れるというか。

肉体が消えた時の別れは、肉親との血肉のつながりが断ち切れる時の痛みが伴う。
身を切られるような、という表現そのままの。
自分と繋がった存在がこの世から消えるということは、何とも耐え難い痛みだ。

ただ、残された人の中に、自分と同じ立場の例えば兄弟とか血縁関係の近い人が居て
共有できるのであればまた違うかもしれない。
例えば両親と祖父母が居て、祖父母のどちらかが亡くなったとしても、残された家族がまだいる。
でも例えば母子家庭で親を亡くした場合は、自分一人が取り残される。
他に血縁は居ない。分かち合える人も居ないとなれば、悲しみの度合いが違うのも当然だ。
とはいうものの、人は生きていれば必ず、必ずその時がくる。
限りある人生のどこかでその場面に遭遇するだろうことは、避けられない。

それでも、耐えられないような思いも、時間が解決するだろうことは言えると思う。
実際、時間は有能な医者であり薬だ。

そういう出来事以外、だったらどうだろうか。

例えば受けたくない手術の日がさしせまってくるときとか。
私はインプラントの手術や超音波内視鏡の検査だけでもものすごく緊張したし、
逃げ出したい、恐怖が半端なかった。
歯医者は麻酔しても意識はあるし、痛みもある。終わってしまえば思ったほどではなかった、、、というのが実際の体験だったけど、未体験のことは想像出来ないので不安てんこ盛りだから。
そうならないように、ありったけの情報を入手して、きっと大丈夫だと言い聞かせても
やっぱり当日は恐怖で記憶も飛ぶほどだった。

超音波内視鏡の検査などは、意外と大丈夫だとたかをくくっていたにもかかわらず
実際受けたら「そんなの何割くらいの確率ですよ」の中に入っていたのだから、何が起きるかわからないじゃないか!と言いたい。
だから怖い。
次またやらなければならないが、それを思うともう本当に嫌だ。

いくら麻酔で意識がないとはいえ、途中で起きるかもしれないとか、あの悪夢がトラウマになって
きっとまた、その直前までは恐怖や心配不安との戦いなんだろう。

でも、避けて通ることは出来ない。避けてもいいけどリスクが高すぎる。
これさえ終われば楽になる、、そう思ってやるしかない。
決めるのは自分だけど、何とか自分を納得させて、騙してでも(自分を)受けるしかないなと思う。
そうだ、終われば楽なんだ。

そういえば私は、何度も何度も会社で出社恐怖症になったことがある(笑)
誰でもどうしても行きたくない会社や学校の記憶はあるだろう。
社会人生活の中で、前半は全くなかったことだったが、それがここ数年だろうか。
本当に出社拒否したい(裕福だったらやってた)気持ちが抑えられなくて、それでも行くしかなくて
出社したことが何度もあった。

怒られなけれなならない事や、吊し上げになる事がわかっていても行かなければならない。
避けられるならそれも良い。
でも避けてもその場しのぎなら、何度でも同じ苦しみや恐怖は訪れる。
例え休んだとしても、いつまでも休む訳には行かない。
学校なら転校、会社なら転職するしか、今の環境から抜け出すことは出来ない。
最悪それも可能だから、それは最後の手段として考えておけばいい。
(経済的余裕が無いと、本当に体を壊すまで何とか耐えるのでそれは考えないといけないことだけど)
どちらも、準備が出来たら現状とはおさらばできる、という希望がある。

急に降ってわいた誰かの負債を負うことになって、自己破産する可能性もある。
まあ何とか免れればいいが、最悪の事態でそうならない事もあるだろう。
自己破産は人生終わると言われるけど、もしそうなったとしても
多分、蘇ることは出来る。

避けられないなら、その時を待つしかない

他にも色々避けられない事はあると思うよ。
人生には、降ってわいた幸運もあるだろうけど、降ってわいた不幸もある。
青天の霹靂、まさにそんな日が来るとも限らない。

避けられないことは、甘んじて受け入れるしかない。
立ち向かうしかない。

立ち向かうと言っても大したことじゃない。
どうせ逃げられないんだから。
ただその場面に遭遇するというだけだ。

怪我して傷ついて痛いかもしれないけど、いつかは治る。
濡れた服は気持ち悪いが、いつの間にか乾くし。
汚れた体は洗えば綺麗になる。

「明日」は絶対来るけど「明後日」も来る。
二日後を楽しみに、明日を生きよう。
明日を耐えれば明後日はきっと少し楽になる。

逃げ道があるなら逃げてもいい。
逃げ道がないなら開き直るしかない。
自分が決定できないことなら尚更。
目の前に起きている現実を受け入れて、耐えて、生きていく。
しかない。

過ぎてしまえば楽になる

嫌で嫌で仕方なかった、逃げ出したいことも、それを実際に体験してしまえば
意外と腹が座るものだ。

どうせ逃れられないなら、仕方が無いと諦めて腹を括る。
括らなくてもそのまま進めば結局そうなる。

そしてそれは、過去の出来事となって、時間とともに消えていく。
時間は偉大な医者であり薬だ。
即効性はないけどね。

痛みも記憶も。自分も他人も変えていく。

でも、そうなるまでが辛いだけ。

肉親との別れは何年経っても思い出すのは辛いことだ。
大往生ならともかく後悔するような別れであれば、何年経とうとも薄まらない。
何故なら後悔とともに思い出し、思い出しては悲しむからだ。
そして記憶の上塗りでいつまでたっても変わらない。

でも、どこかでその気持ちに区切りをつけていかなければならない。

新しい記憶で埋めるのが一番だ。
たった一人しかいない肉親との別れは、それに変わるものはいないけど、この世で伝えることが出来ないならあの世に行って再び出会うまで、引きずらずに生きていくしかないし
今生でまた会えるかもしれない人とは、いつか会える日を楽しみにしていけばよい。
会いたくない奴と合わなければならない日も、
行きたくない会社も、会合も、打ち合わせも、過ぎてしまえば過去になる。

gotoku

gotoku

「夜明けのブログ」管理者のgotokuです。
このブログは、私が実際に経験した事や思い出などの
記憶を記録として残しておきたいと思って始めました。

まあ、本当にいろんな事があって、真っ暗闇な一寸先は闇な日々でした( ;∀;)が、ようやく少しずつ暗闇から陽が差してきたかも?!な状態になってきて、、、そんな意味もあってブログタイトルにしました。

「明けない夜はない」これは本当にきっとそうなんだ、と思ってます!

実際にいろんなことが起きて、その時必死で調べたりしたことも今では良い思い出です(笑)
でも当時は大変でした。もし同じように困ってる人が居たら、ちょっとでも参考になればいいなと思います。
(意外と調べても出てこない事って多いんですよね・・・)

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