もともと神社仏閣が好きな私ですが、、別に仏像が好きなわけじゃないですよ。古い建物フリークでもあるからです(笑)
そんな私は昔はあちこち散歩がてら都内はもちろん鎌倉や箱根などに足を延ばして巡ったものです。
最近全然行って無くて、近くに用事があって、たまたま寄ることになったんですが、、、
久しぶりに行ってびっくりしました!今の神社ってこーなの!?
目次
神社に行くと落ち着くし、清々しい気持ちになるのは何故か?
さてさて神社ですが、パワースポット云々言われて今あちこちの神社流行ってたり人がすごかったりするらしいですね。
私がのぞいた時も、〇〇ツアー的な小団体がいくつも来てました。若い女性の集団だったり、前にはみかけなかった感じの人たちがたくさん・・・・・・なんの集まりかわかりませんが。
私は元々誰かと行くより一人でどこでもいくタイプなので(その方がゆっくりできるしわがままもできるw)
そういう賑やかな集団を横目に見つつ、さらっと一回りしてきたんですが
いつも思うのは、神社って大きなところも小さなところも、敷地に入ると気持ちが引き締まるというか。
別世界を感じますよね~☺
空気が違う!んです。空気が!
(別にエネルギーが云々とかオカルト的な事ではなくて)
これって当然と言えば当然です。だって神社って、広くて樹木がいっぱいあるじゃないですか。
周りの喧騒とも遮断されているし、近所の民家とは違いますよね。
非日常的でもあるわけで。
だから、気持ちが切り替わるんだと思います。
日ごろのあくせく働いて何かに追われている生活をしていると、ふーっと一息つけるというか、
気持ちがゆったりしてくるんですね。
ただ気持ちいい。
そういう時間が、現代人の超忙しい人には必要だと思います。
だからこそ、そういう時間を求めて、人が集まるのかもしれないですね。
もちろん単なる観光で来ている人や、願掛けに来ている人もいるでしょうけどね。
私が小さい頃育ったところは、近所に神社があったのでしょっちゅう遊びに行っていました。
そう、遊び場でもあったんですよ。神社って。境内とか、広いし。
神社って、ちょっとそういう不思議な空間でもあるので、わざわざパワースポットとか言わなくても
昔から憩いの場として日本人の心に根付いている者じゃないかなと思います。
お寺とはまたちょっと違いますね。
一昔前とは違う最近の神社とは?
さて本題です。最近の神社がどうなっているのか、私が驚いたことは、、
例えば最近いったところでいうと、神田明神、明治神宮この二つは特にびっくりしました。
何がって、おしゃれな憩いの場所になってるんですよ。
例えば、神田明神はグッズ売り場がものすごくおしゃれで充実していて、広い!!
観光地そのもので、売っているお守りもシール状のものもあったり、多岐にわたって面白いんです。
都内なのにどこかの観光地にいったみたいなちょっとした旅行気分になります(笑)お土産も充実しているし、見ていて飽きません。また行きたいと思います。
明治神宮も、これまたすごくお土産屋とショップが充実しています。そう、ショップとか言っちゃうくらいおしゃれです。
原宿表参道という場所柄に負けません。
参道はものすごく広くて、境内は森、ですが(都内真っただ中にいるとは思えない)やっぱりおおしゃれ極まりない。
お土産・ショップ・レストランが入っている一角は、本当にここ神社?って疑うほどの充実したおしゃれタウン。
テラスに面したカフェなんて、本当に絵になります。
ワンコといっしょにテラス席で優雅にカフェタイムなんかしてみたい。。。それが似合う感じ。
うーん、なんかすごい表参道感ある。。。(近いけど)
なんというか、最近行ったのがこの二つの2大神社だったせいか、目から鱗だわびっくりしたので思わず書いちゃいましたが
いやもう、一度は是非行ってほしいです。神社のイメージ変わりますよ~☺
昔ながらの厳かな静粛な神社もいいけど、こういう斬新な神社もまたいいものですね~💛
パワースポットの定義を考える。私にとってのパワースポットとは?
そもそも「パワースポット」って何ぞや?な話になっちゃいますが。。
元々好きだった場所が、いつの間にか世にもてはやされて「パワースポットだ!」とか言われて観光客が増えてにぎわうのは、、まあ喜ばしいことですが、密かな憩いの場所として楽しんでいた側からしたら、ちょっと複雑な感じではあります💦
繁盛するのはいいことだし、神社がにぎわうのもまた嬉しいものですが。。
先日感じたのも、「いついっても静かで落ち着く」から、「広い境内がまるでお正月みたいなにぎわい」になっていたり、違和感のようなものもあったはあったんですが、本来神社ってそういう存在意義があるのかなと思うと(皆が集まる、集う、いつも人が居る)皆に認知され愛されるのは良いのかと思ったりもします。
パワースポットという考えに近い、昔からあった「伊勢詣で」や〇〇神社詣で、お礼参り、などは
神仏の霊験にあずかりたいからそこにいく、というモノだと思ってますが、こういう考えは
「そこにいけば運が良くなる」とか「願いが叶う」という他力本願の極みですよね。
それももちろんアリだと思ってますが。
だって、もう自分であれこれやって努力してこの先どうしようもなくなったら、祈るしかないでしょ?
それか絶望するしか(笑)
絶望しなくてもよいために、「人知を超えた何かに頼る」という道が残されているのはアリだと思います。
※そこにつけこむ輩も沢山いるので、悪徳業者などに引っ掛からないように注意
「お金を出せばなんとかしてくれる」というものではなく、要は気持ちの問題ですよね。
もう自力でやれることはやりつくした人が神社にいって願掛けして〇〇断ちするとか、お百度参りするとか、
その行動自体が自分の限界に挑んで最後の力を振り絞る結果になるのかなあと思ったりもします。
で、結果あり得ない事が起きて叶ったり救われたりすんでのところで事態が好転したり。
人間、本気で思って(祈って)行動していれば、いずれ道は開けてくる。
諦めなければ、残された細い道でもだんだん開けてくる。
確かにそうだったなあと過去を振り返りつつ実感しつつ。。
そういうことを思ったりします。
パワースポットというのは、他力本願のほかにも
そこにいくと元気になる、力が湧いてくるというような自分にとってのエネルギー満タンにしてくれる場所、
でもあるわけですね。というか私はそういう意味で使っています(笑)
だって、「あそこパワースポットだから、行けばいい事があるよ」って言われてもなんだか胡散臭い。
でも、「あそこにいくとなんか落ち着くし気持ちいいし気分も上がるし、なんかいいこと起きそうな感じ」
に慣れる場所があれば、そこが海だろうが山だろうが、誰かの家であろうが関係なくまさしくそこが
自分にとってのパワースポットになるんだろうなと。
神社は、世間一般のパワースポットであるけれど、私にとってもまさしくパワースポットと言える場所なんです。