今日は、ちょっとしんみりな話。今でこそもう元気な私ですが、両親が亡くなった年はもう最悪なメンタルでした💦あれから早〇年・・・これは法事の時のお話です。
一周忌のお寺で見た蝶々たちのこと
蝶、って確かに不思議なイメージがあります。
モンシロチョウやアゲハチョウ、白い羽と黒い羽。羽の模様も毒々しかったり不思議な模様だったり、時には人の顔に見えるとか見えないとか。。
オカルトやそういう怖い話じゃないですが、「蝶は人の魂を運ぶ」というような話、古今東西で古から伝わっているんじゃないでしょうか。
実際聞いたことがありますし、小説などでも「亡くなった人」と「そこから飛びたつ蝶」が関連付けられて描写されていたり、その様を見た人が「ああ、会いに来てくれたんだね」「ああ、亡くなったんだ」と気づく描写があったりします。
こういう表現にも出てくるくらい、「蝶」と「霊魂」との繋がり、連想、といったものが浸透してるんだなあと改めて思います。
だからでしょうかね。私はこの話を聞いた時、すごく納得してしまったんです。
それまで、その辺に蝶が飛んでてもあまり気にしたこともないし、特に何も考えたこともなかったですが
両親が亡くなった後―あれは一周忌で、一人でお寺に法事を行うために行った時のことです。
呼べる親戚もいないし、親しい身内もいない私は、両親の一周忌も当然一人で行ったんですが、葬式の時に散々な目にあったことがトラウマとなっていたので、むしろ清々しく気持ちも晴れやかでした。
「故人のことを何とも思っていない人に法事に出られたくない。だったら一人で弔いたい」
そういう気持ちで臨んだ一周忌は、しんみりと、でも穏やかに過ぎ、予定より早く終わりました。
(法事は一人一人参列者がお焼香したりするので、人が多ければ多いほど時間もかかるんです)
そして、一周忌のお卒塔婆を持ってお墓へ行き、墓前で読経。
これで一周忌は終了となり、御礼を述べて帰ろうとしていたときでした。
お寺の中庭に、ヒガンバナか曼殊沙華のような花が植えてあるんですが、そこに2羽、
大きな羽を持つ綺麗な蝶々がひらひら飛んできました。
ひらひらと飛んできて、見たことないような大きい立派な蝶に目を引かれて、「へえ、珍しい蝶」と
目をやった私の周りに、まるで視線があったから、とでもいうように
私の周りにひらひら飛んできて、くるくるひらひら、私の周りから離れず飛び回っていました。
蝶に懐かれたのも初めてでしたが、いつまでも周りにいるので、私は何か蜜の匂いでもするのかと思ったくらいでした。
「え、蝶って人に慣れるの?」とおかしくなり、しばらく蝶と遊んでいると
住職が近寄ってきて、
「珍しい。こんなことは滅多にないことだよ。こんな大きな蝶が二羽も、しかもこんなに人の周りに飛ぶなんてね。私も初めて見たよ」
ととっても驚いて、
「ああ、きっとこれはあんたのお父さんとお母さんじゃないかな。一周忌で戻って来たんだね。
きっと二人とも喜んでるんだよ、良かったねえ」
と、懐かし気に蝶を見やり、頷いて、しみじみ言っていました。
その頃の私は、自分の後悔も山ほどあって、幽霊でもいいから見たい、夢でもいいから話がしたいと
思っていたので、住職の言葉にとっても癒され、嬉しかったです。
嬉しすぎて、写真を撮るのも忘れて、ただただ、蝶の姿を目に焼き付けておこう、と。
そうしてるうち、蝶も満足したのか?(笑)だいぶ側でひらひらした後、また飛んでいきました。
あまり見たことが無いような蝶で、住職も珍しがっていたので、やっぱり写真撮っとけばよかったな(^^;
それから、自宅の前の道路や、通勤時の道でも、モンシロチョウがふっと現れては、私にくっついてくることが多くなりました。
まあ、すぐに離れて行っちゃいますけどw
(蝶に対して意識することが多くなったからかもしれませんね)
そんなとき「あっ蝶々!!誰かな~??元気かな??」なんてちょっと嬉しくなって、周りに誰もいないのを確認して(笑)こっそり話しかけたりしたりします(^^;
(怪しいけど怪しくないですよ!)
そういう日はちょっと嬉しい気持ちになるのでした。