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お盆にまつわる思い出と風習について。夏のお祭りと同じくらいワクワクした子供の頃。なんであんなに楽しかったのか?

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お盆

「盆、暮れ、正月(年末年始)」っていうけど、、確かに一大イベントの一つであった「お盆」
昔からあったこの風習、面白いし楽しいし興味深いけど。。思い出の中のお盆は楽しい。

小さい頃大好きだった「お盆」、お祭りとセットで地元の最大行事

私が育った地域は、観光地でもあるけど田舎だったので、いわゆる土地の風習が色濃く残る行事がいろいろあった。
お盆はその一つで、そこに生きるものは特に感じないが、外から来た人から見たらさぞかし面白いものではなかったかなと思う。
地域独特の風習は、確かに面白い。お葬式も、かなり「田舎の常識」がまかり通るので、ともすれば「村八分」に発展しそうになる、恐ろしい風習でもあるんだが。。

それはさておき、私の子供の頃の夏の思い出と言えば、お祭りとこのお盆で占められている。

小学校時代、夏休みが近づくともうわくわくしっぱなしで、毎日楽しくて楽しくて、夕方になるまで遊んでても
外が明るくて、一日が長くなった気がして嬉しかった。
観光地なので、夏の夜はいつまでも人がいっぱい道を往来していて、物珍しいのと楽しいのとで、興奮したものだ。
自分の家や土地が、いつものものではなくなるというか。
夏の期間だけは、違う世界に変わるような。一種独特な、特殊な感覚があった。
そんな特別な季節である夏、学校が休みに入ると、まずやってくるのが夏祭り。
そのあと来るのが、いよいよお盆だ。
お盆は、7月に行う地域と、8月に行う地域があるようだが、私の育った地域では8月の13日から15日までがお盆だった。

田舎のお盆は、一大行事なので、それはそれは「仕込み」期間も大騒ぎである。
我が家も祖母と私がお盆担当で、仕事で不在の両親に代わり、祖母と二人で楽しく準備していたのも楽しい懐かしい記憶である。
何日前からだったか、祖母と手作りのお迎えセットを作りーーー
お迎えセットとは、お盆に帰ってくるであろうご先祖様の乗る、乗り物とかー馬や牛に見立てた、ナスやキュウリに足に見立てた箸や棒を挿して立てるようにしたり
果物や、地域の名物を作ってお供えして、提灯も用意して、御花も飾って、ほおづきも飾って、
いつもの御仏壇がなんとも賑やかに華々しく飾られて、特別感が満載だった。
否応なくそれは、「ここにご先祖が帰ってくるんだ」と、子供心にもワクワクとトキめきを駆り立てるモノだった。
何せ見知らぬご先祖たちは、過去帳で名前を見たり、仏前の壁に掛けてある写真や絵では見知っているものの、実際会ったことはない(当たり前だが)。

専ら、そういう話は祖母としているのが常だったが、いくら祖母でも私から見たひいおばあちゃんしか知らないという。
そんな人たちが帰ってくるんだなと思うと、親戚のおばあちゃんたちが遊びに来るみたいで
とてもわくわくした。
特に私は、先祖の名前を見て「この人はどういう人だったんだろう」と想像するのが好きだったので、お盆にその憧れの?対象と会える(かもしれない)ということが、最大の楽しみでもあったのだ。

もちろん友達はそんな風に捉えている子はいなかったので、一般の感覚ではなかったのかもしれない(笑)

でも、どこの家も、お盆ともなればそれはそれは大変なイベントだった。祭りは最大行事だったけど、それに続く非常に重要なイベント。

お盆の期間はみんな大忙しで、お寺にも行くし(お墓に準備するものがある)墓の掃除もするし、御花を供えたり諸々連日連夜の仕事❓に明け暮れる。
初盆の家などは特に力を入れてやるべき行事があるので(施餓鬼法要)さらに大変である。

年に一度の提灯を出し、お盆の供物やお飾りを施し、特別な期間が始まる。

そして当日、仏壇とお墓を掃除し特別な朝ごはんをお供えして、夕方になると提灯を手に、ぞろぞろと家々から皆出てきて一様にお寺に向かう、提灯行列が始まるのだ。

夏の日の夕方に、お墓に行く道すがら行きかう人と挨拶を交わし、お寺の本堂で持ってきた提灯に火をつけ、一束のお線香に火をつけ、バケツに水を汲み、我が家のお墓に。
掃除が行き届いてきれいなお墓には、行けたばかりの新しい一対の花束と、誰かが来てくれた証の線香の煙が立ち込めている。
(お盆の時は親戚や知り合いのお墓にも行って、誰もいなかったらお線香を立てておく)
提灯を置いて(置き場所は既に作っている)、お水をあげて、お供えをしたりお米を上げたり線香を立てたりして一通りの作業を終え、最後にお墓のご先祖にご挨拶。
「お迎えに参りました」
そう、これが迎え盆といい、子孫がお墓に行ってご先祖を連れ帰る日のことだ。
お寺でつけた提灯の火に、先祖の霊魂が乗っかって、家に戻ってくるという仕組みらしい。
子供の頃の私はこれがとっても不思議で大好きで、これは私の役割だった。

お墓では、隣近所のお墓の持ち主の家の家族が来ているので、それはそれは大賑わいである。
お墓にこれほど人が居るのも、年に一度のこの期間だけの風景だ。
自分の家のお墓に行くまでの道も、渋滞している(笑)
それぞれの家の人と挨拶をかわし、中にはお盆にお墓でしか会わない人もいるので、
お盆のお墓参りは貴重な交流の場でもあるのだ。

懐かしい人たちとの再会を喜び、普段会わない人たちとも話が出来て
意気揚々とお墓を後にし、帰宅。

家では祖母が、ご馳走を作って待っている。
キレイに飾り付けられた仏壇の前には、特設のお盆のためのテーブルが設置されていて、そこにお盆用品と
お供え物が並ぶ。いつもより大ぶりの沢山の花瓶に生けられた花々も華々しさを添えている。

そして、仏壇の蝋燭に、ご先祖様が宿った提灯の火を分けて火をつける。
これで、無事お迎え完了!
「ようこそいらっしゃいました」と手を合わせ、祖母と二人で仏壇の世話をする。
出来立てのご馳走を並べ、挨拶をし、ゆっくりくつろいでくださいねと声をかける。
まるで、生きている人がどこかから戻って来た時の様だ。

こういう風景はごく普通に毎年のお盆でも、日々の暮らしの中でも目にしていたので
私にとってはまったく当然の事だったので、それが当たり前のことになっていた。

お盆は3日間続く。
中日は、お墓に行ってもご先祖は居ないが、留守の間のお掃除をする。
そして三日目は送り盆の日。
初日の迎え盆はなるべく早い時間に迎えに行き、送り盆はなるべく遅い時間に送るのが定例で、
「年に一度しか戻ってこれない人との別れを惜しむ」気持ちがあるようだ。
うちでも、夜まで居てもらい、あまり遅い時間だと子供一人では危ないので、そこそこの時間まで粘って
お墓に送っていく。

送り盆は、家の仏壇で提灯に火をつけ、迎え盆と同じようにそこにご先祖の霊を宿らせてお墓に移動し
お墓の前で提灯の火を消す(手で仰ぐ)。
これで、お盆は終了。
お盆の飾りつけなどは翌日片付け、お焚き上げする地域もあるが、うちの場合はそのまま翌年までしまっておく。

地域によっては、送り盆の時このお盆の飾りつけを燃やして、その煙に乗って帰っていただくというやり方もあるらしい。
昔は深く考えていなかったけど、この「煙に乗って」往来するという捉え方は実はとってもとっても深い!
面白いし、興味深いし、至極納得する考え方が、そこにあった。

亡くなった人と「煙」の関係。お供えや手紙は肉体がない人へ届くのか?

亡くなった人は肉体がない。移動するときとかどうするのとか、お供えを上げても食べられるの?とか、手紙を書いても読めるのかとか、色々な疑問が湧いた時がある。
小さい時は何の疑問もなく、素直に目の前の行事を楽しく受け入れてきたけど、だんだん知恵がついてくると
あれは?これは?なぜ?という気持ちが湧いてくる。

お盆についても、ただただ楽しくてワクワクするのはずっと変わらなかったけど、ふとこんなことを考えては祖母や、家にお経をあげに来る住職や、周囲の人に聞いてみたことがあった。

「亡くなっても会えるし、食べられるし、聴いてるから大丈夫」
と一言で済まされるのが常だが、「えっ何で、だって肉体無いじゃない」ってさらなる疑問には、誰も明確に答えてはくれなかった。
そりゃそうだ。実際に生きてる人は死んだ世界を知らないんだから。

そういえば昔、小さい頃お盆時期になると毎年必ずテレビのお昼時間に放送されていた「あなたの知らない世界」という番組があったが、あの番組の中で心霊評論家が色々解説をしていたこともあったっけ。
そういう世界をちらっとでも知ることは面白かった。

色々な方面から入手した情報によれば、肉体がないということは物質ではない、ので同じ物質である着物や植物は触れられない。声も耳を通しては聞こえない。

でも、「届いている」というのなら、何か手段があるはずだ。
それは、煙という手段であったり(燃やして煙という気体に変化させることで届ける)実際に出ている音の周波数であったり、物体の出す振動の周波数であったり、「想い」という形のないモノを通して届けているということじゃないだろうかと。

そう考えれば、故人の着物や大切にしていたものや手紙を、故人が亡くなった時に火葬の際に一緒に棺に入れて持っていって貰うという考え方も納得する。
お盆の時に燃やして煙に乗って・・・というのもなるほど、と思う。
そうなると、わざわざお墓に行かなくても、どこにいても聞こえてるんじゃないかとか思うが、なるほどお墓とお仏壇という2カ所があった。これがあの世とのポータルになっているのか?
ポータルがないとこっちにこれないのか?とか今度はまたちょっとSFチックな話に転じてしまいそうなので、とりあえず今回はここまでにしておくが、そんなこんなで疑問は尽きないものである。

なにはともあれ、肉体のない人との交流が二度と出来ない、ということはなさそう。
無いと思いたい。というかきっと無い(笑)

そういうわけで、地元を離れた今も、お盆になるとそわそわしてワクワクして気持ちが昂るのが
来年もこれからもずっと、続いていくと思う。



gotoku

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「夜明けのブログ」管理者のgotokuです。
このブログは、私が実際に経験した事や思い出などの
記憶を記録として残しておきたいと思って始めました。

まあ、本当にいろんな事があって、真っ暗闇な一寸先は闇な日々でした( ;∀;)が、ようやく少しずつ暗闇から陽が差してきたかも?!な状態になってきて、、、そんな意味もあってブログタイトルにしました。

「明けない夜はない」これは本当にきっとそうなんだ、と思ってます!

実際にいろんなことが起きて、その時必死で調べたりしたことも今では良い思い出です(笑)
でも当時は大変でした。もし同じように困ってる人が居たら、ちょっとでも参考になればいいなと思います。
(意外と調べても出てこない事って多いんですよね・・・)

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